1867年(慶応3年)10月14日に徳川慶喜が大政奉還し江戸時代は終わりを告げ、翌68年には江戸を東京と改称し「江戸を東京と改稱し都を遷すの詔」が発令されました。明治維新とともに大名小路やその周辺は官庁や陸軍の軍用地となります。しかし、1872年(明治5年)2月の大火以降、この地は放置されるようになり、大丸有地区は明治20年ごろまで一面の寂しい原っぱらだったといいます。明治20年代になり、岩崎弥之助氏がそれを買い取って「三菱が原」と呼ばれるようになり、そこから計画的にオフィスが建設され現在のビジネス街の原型ができていきます。江戸時代、大名小路の大名屋敷が究極の職住接近のワーキングスタイルを実現する場だったとしたら、明治維新後に建てられた煉瓦や石による近代ビルは、その建築様式が木から石に変わったというだけでなく、職住分離や職場環境など、日本人のワーキングスタイルを決定的に変えていったといえます。ここでは、明治維新から関東大震災後の復興までを通して、この街の近代化の足跡を俯瞰してみます。
取材協力:千代田区立日比谷図書館